「宇宙語通訳士の日のこと」
まだ子どもを持つ前のこと。
おそらく2歳だったと思う、を育てる友人宅に遊びにいった時のこと。
小さな子とのしばらくぶりの触れ合いをとても楽しみにしていたのに、
いざ対面すると…その子の言っていることが分からない。
遊び相手になりたいのに、正確な単語なんか一つもない謎の言語を話すこの子が、
何を望んでいるのか読み取るのが難しい。
なのに。
隣に座っていた母親はその宇宙語を全て理解し、うどんをよそい、与えはじめた。
え、今のどこに”うどん”という単語が、、?
何年か経ち。
私もこの宇宙語をマスターする通訳士になった。
それに気づいたのは、孫を相手に何年か前の私と全く同じ反応をしている父を目にした時。
「え、なんで分かるの?」と不思議でたまらなかった翻訳能力を、知らず知らずのうちに私自身も習得していた。
でもこの能力、もったいないことにあくまで我が子にのみ発揮される特殊技術に留まっている。
毎日、毎日繰り返される膨大な親と子の会話の中から、小さな単語のかけらをマイ辞書に蓄積、蓄積して生まれた先の産物。
最近、この翻訳能力の大幅アップデートが行われている気がする。
初期の頃、ぶ→ぶどう、うんうん→うんち、というものだったのが最近は、
白いラーメン→うどん、皆がカップに乗って舞踏会行くやつ→美女と野獣のディズニーアトラクション、
という感じにいくつかの単語の連想ゲームverになった。
我が子専門通訳士としてのスキルは無意識に身につき、無意識にレベルアップされていく。
だけど。いつかこの我が子にしか使い道のない辞書を用いての通訳作業が必要のない日がきっと来るはず。
そう思うと、寂しいような、どんな達者を言ってくるだろうか楽しみのような、
今だけの謎の宇宙語を愛でたいと思う。